それで満足ですか?

わたしがまだ卒後5年目ぐらいの頃勤めていた病院に転院してきた、わたしと同い年の女性患者がいた。末期がんだった。もう何の手を打つでもなくなった段階で、苦痛の緩和をしながらゆっくり最期まで過ごしたいと本人と家族が望んだので、それまで治療を受けていた都心の大きな病院から、何かあって電話すれば5分以内に駆けつけることができる近所にあるうちの病院に移ったのだということだった。入院からしばらくは意識も清明で、面会に来た友人たちと会話したり、家族がもってきた好きなものを少しずつ食べたりして穏やかに過ごしていた。わたしは同い年だったこともあって、子供の頃に見たTV番組や中高生の頃に流行ったものの話などをよくしていたように記憶している。ある雪が積もった日に「見たい」と言う彼女を、身を起こしただけでも骨転移であちこちの骨にひびが入るような状態だったので看護師3人がかりでベッドごと引っ張り出して雪のよく見える場所にまで連れていったことがあった。「春から○○くん(彼女の息子)が小学生だよね、今度は桜のシーズンだよ!桜が見たい時はこの倍の人数でマットレスごと担いで桜見せに連れていくよ!」と声をかけると彼女は「あら、できたらそのままおみこしみたいに入学式にも連れていってくれると嬉しいわねえ」と言って本当にいい声で笑った。しかしその後から次第に意識レベルが低下してゆき、桜が咲く少し前には昏睡状態に入ってしまった。そしてとうとう呼吸も脈拍も止まりそうだというとき、駆けつけた彼女の両親、きょうだい、夫と息子の家族全員が彼女を囲んでみんなで手を取り声をかけながら静かに最期のお別れをしていたその時、ひょっこりと見知らぬ女性が現れた。

散歩のついでに立ち寄ったといった雰囲気のこの女性は彼女の親類の「おばさん」らしく、がんであることは知っていたらしいのだが、最初に告知されて手術を受けた頃に一度入院先に面会に行ったことがある程度で、それ以降は顔を見に来たこともなく、近所の病院に転院したらしいから来てみました、ということで患者がもうすでにこの段階になっているということは全く知らなかったという。そして病室に入ってくると「ちょっとこの病院はなんなの!?人が死にそうだっていうのに見てるだけなの?!こんなに苦しんでるのに何もしないなんて!」といきなり叫ぶので苦痛の緩和のためにやれる限りの処置は全てしていて決して「見てるだけ」ではないこと、ここにいる家族はこうして揃って静かに最期を迎えることを希望して、みんなずっと前から患者と一緒に過ごしてきたことを医師が説明しても納得せず、ますます逆上し今度は病室のドアを開けて廊下に向かって大声で「ここの病院は患者を見殺しにするっていうの!?最後まであきらめないで一生懸命患者を生かすために治療するのが医者ってもんでしょう!まだ○○ちゃんはこんなに若いのに!ああ○○ちゃんがかわいそう!こんな病院に来たばっかりに何もしないで殺されるなんて!」と叫び始めた。医師が困惑した顔で横にいた先輩看護師を見る、先輩がその横にいるもう一人の看護師を見、彼女はわたしの方を見た、わたしの横・・・って誰もいないし!えっわたし?全員が目で頷く。「頼むからお前やってくれ」という彼らの視線のパスを受け、わたしは意を決して、患者の胸に手を当てた。そっと押したはずなのに、聞いたこともない鈍い音をたててわたしの手のひらはなんの抵抗もなく骨転移でボロボロになっていた彼女の胸の中に沈んだ。

しかし始めてしまった以上手を止めることはできず、数回胸骨圧迫を続けていると、ずっと黙って見ていたもうすぐ小学生になる彼女の息子が「もうママに何もしないで!」と叫んだ。わたしがその声にはっとして手を引っ込めると患者の父親が「もう結構です、やめてください。皆さんには本当に十分すぎるほど良くしていただいて・・・ありがとうございました」と言って、彼女の夫と共に深々と頭を下げた。

自分の言動が他人に対して影響力があるのだということを確認したくて仕方がない人、というのは確かにいる。この「おばさん」がそうであったのかどうかはわからない、しかし彼女が引き上げていく姿がこころなしか満足げに、意気揚々といった風にも見えたのはなぜだろう。滅多にお目にかかれない人の死に目というものに行き合い、自分が何か言うことでわたし達医療者を動かすことができた「成果」に満足したようにも思え、わたしが胸骨圧迫の手を止め、死亡確認がされたあとあれほど叫んでいたのが嘘のように「最後までよく頑張ったわねえ」と患者の顔を撫で回しながら目に涙をためていた「おばさん」が実は自分が「最後までよく頑張った」と撫でられ、褒められたかったのかとも思う。

この話を福島の因業医者にしたら、ものすごく嫌な顔をして「こないだもあった、そういうの」とボソっと言った。なんせ田舎のことなのでやはりまだ「長男」の威光が健在であり、たとえ次男以下の家族がずっと介護をしてきた寝たきりの老人で、もう積極治療をしないで穏やかに看取ると話がまとまっていても、数年ぶりに都会から帰ってきた長男が出てきて全力CPRだ昇圧剤どころか輸血だろうが透析だろうが人工呼吸器だろうが全部やれとひっくり返される。せっかく医療側と介護していた家族とも良好な関係が築けていて、連携したいい形でお看取りができた場合でも、いきなりやってきた「親戚」が患者が亡くなったということは医療ミスがあったに違いない、何か隠しているに違いないと騒いで、家族を唆して訴訟に持ち込ませたりするどちらにとっても不幸なケースもあるのだという。

「だからもうオレらに対して患者がこういう人だからあれをしろとかするなとかいう決まりをつくる以前にな、患者や家族の側がしておくべきこととして誰の言うことを尊重すべきか、直接世話にタッチしてこなかった人や関わりの薄かった人の言うことはたとえ血縁が濃くても取りあわないとかいう線引きをきっちりした決まりは作ったほうがいいと思う」

最近になって、初めて希望者本人の署名がされた尊厳死協会のリビングウィルの原本というものを見る機会があった。その中に「この趣意に理解を示さない医師がいる場合は協会へ連絡してくれ、説得にあたる」と書かれていたのだが、理解を示さない医師なんて今どきそんなにいるだろうか?医師を説得するよりも、こうして後からやってきて騒ぎたてる「親戚」を説得する方がよっぽど現実的なんじゃないかと思う。間違いなくそうしてくれるならこのリビングウィルの通りにしてもいいのに、と考える医師はかなりいるんじゃないだろうか。そしてこの「後からやってきて騒ぎたてる」のは必ずしも親戚の誰かとは限らない。メディアがその役目をすることもあり、傍観者の「世論」であるかもしれない。

よく混同されて論じられるが、安楽死と尊厳死はどこかでリンクしながらも似て非なるものだと思う。そもそも今生きているわたし達自身が生者としての尊厳を守られているかどうかすら疑問がある社会で、いきなり死の場においての「尊厳」を考えろといわれても戸惑うしかないのも事実であり、どうしても具体的に想像しやすい「安楽死」に寄っていくのも仕方のないことだと思う。しかし宮子あずさ氏の言葉を借りて言うならまず「死の場に対する敬意を持つ」こと、死にゆく人、その周りにいる人々の事情に思いを馳せること、自分がその場に踏み込むべき立場であるのか弁えること、それが「尊厳死」を考えるわたし達の最初のステップだと思う。
by valencienne | 2012-05-08 11:24 | 医療(裏) | Trackback | Comments(8)
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Commented by まるあ at 2012-05-09 11:55 x
お久しぶりです。重い話ですね。同い年で末期がんというのそのものも重いというのに……。
(次女が小学校入学したばかりなので余計に感情移入して……つ、つらすぎる)

悲しいことに、こういう親戚の「おばさん」をおさえられる人は今は誰もいないのですね。他にもっとパワーのある親戚のおじさんとかがいれば別ですが。
その「おばさん」が認める権威を既にもっている人の言うことしか聞かないものね。もちろん尊厳死協会の言うことも聞かないでしょう。本人が良識に満ち善意からやっていると思っているだけに始末が悪い。

昔は「お医者さんがおっしゃった」に絶対の権威があったのにねえ。(まあそれで問題があったりしたからこうなった面もあるのでしょうが……極端すぎる)

即決しようのない問題ですが、こうやってどこかで話題に上がり続け、人の目に触れ続けるというのは地道な努力として大事なのかもしれないとしみじみ思ったのでコメントしてみました。
お疲れさまです。
Commented by 毒多 at 2012-05-09 17:53 x
こんにちは、お久しぶりです。
えぼり姐がスタッフ全員に見つめられ「頼むからお前やってくれ」のくだりは、オバハンを張り倒して黙らせるのはお前の役目だ、と、展開していくのだとマジで勘違いしました。冷静に考えたらそんなことあるわけないですね。

>あとからやってきて騒ぐ人に、、、、お呼びでない、と認知されている「自覚」はないでしょうね。自分の虚栄心を満たすための行動という「自覚」もないと思います。社会にはこういふ人が多いというのはとても面倒だと思います。

「死」にかんしては、いまの(というかずっと)思索中です。
「死」をちゃんと自覚し、受容したうえで、死にゆくのが尊厳死のような気がしています。安楽死ってのは、ちょっと死から逃げている気もするのだけど、どうなんだろうね? いずれの言葉も最後に死とはついているものの、現実の「死」からさきは解らならいので、「死」を迎えるにあたっての生き方の問題なのでしょうが・・・。その「生き方」を他者の軽率な奇行で乱されたくはないものです。
Commented by E_physician at 2012-05-16 23:17 x
私も毒多さんと全く同じ展開を予想しました.冷静に考えたらそんなこと...ありそうなんですが(笑).

アメリカでは“カリフォルニアの親戚”って言うらしいです.遠くに住んでて,普段関わってないのに,突然しゃしゃり出てくる輩...

病状説明の最後は「何かお聞きになりたいことはありませんか」がデフォですが,治療方針を決定する時は「他にお子さんやご兄弟(姉妹)はおられませんか? その方達も同意見ですか? 後で文句を言ってくる方はいませんか?」と確認することも最近はデフォになりつつあります.

あぁ何て防衛医療.
Commented by Toni at 2012-05-21 12:13 x
「尊厳死」という言い方はいつごろから言われたんだろう?
それほど尊厳されない死がはびこった、「犬死」という言い方の反語?
エボリさんも指摘しているように「生者としての尊厳」っうのが無いに等し
いからなんだろうね。
それじゃなきゃ、日本で一日に90人以上も自殺はしないと思う。自殺は
「生に対する冒涜」だと思う。
Commented by valencienne at 2012-06-08 14:18
>まるあさん
おひさしぶりです。そうこうしているうちに「尊厳死法案」なるものが出てきてしまいましたね・・・問題は「死なせ方」なんかじゃないと思うんですけどねえ・・・

>毒多さん
そうきたかー!っていうかこの話したらみんな同じこと言うー!
なんていうか「いい死」というイメージがフワフワなところに「悪い死」ばかりが取りざたされて一人歩きしてる気がするんですよね、で、その「悪い死」っていうのも実際のものというより「悪い生」の裏焼きだったりするように思うんですが。
Commented by valencienne at 2012-06-08 14:26
>E_physicianせんせ
わあやっぱりここでも!しかし「カリフォルニアの親戚」ですか・・・どこにでもいるんですよねえ。どうもそういう人たちって、とりあえず「生きている状態」でありさえすれば文句言わなくて(だけど世話もしないし金も出さない)、そのくせ死ねば過程などすっとばして「死んだ」ということだけで大騒ぎですからねえ、だからうちの病棟の患者さんみたいな人たちが救急で生まれるのかもしれないなあ、と。

>Toniさん
今回どうも生活保護の件で生きる人の尊厳をおおっぴらにないがしろにしてもいい、って雰囲気にしたところで「尊厳死法案」なんか出してきて、なんの悪い冗談なんだろうって思えてきます。
Commented by NSG at 2012-08-23 19:39 x
twitterがきっかけでこちらのブログ拝読しました。非常に力のある文章で引き込まれました。自分も田舎生まれなので、よく分からない長男の威光や、なぜかひたすら介護をした方が報われない状況などがあったことを思い出しつつ読みました。生きている人の尊厳すら守られていない、というのは非常に共感しました。
Commented by valencienne at 2012-09-06 11:16
>NSGさん
なんかねー、命を大事にするやりかたも教えんと大事ですばっかり連呼してるからもうよくわかりませんでねえ。尊厳死はこれから考えなくてはいけないと思ってます。泥縄ですけどw
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